【アニメ感想文】シュタインズ・ゲート ゼロ――失ってしまった世界で、それでも生きていく物語――【ネタバレあり】
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『シュタインズ・ゲート ゼロ』は、少し不思議な始まり方をする作品だ。
まゆりは救えた。けれど、紅莉栖は救えなかった。
物語は、そんな「どちらも正しいが、どちらも苦しい」世界線から始まる。
誰かを救えたという事実は、確かに尊い。
けれど同時に、誰かを救えなかったという事実は、決して消えてはくれない。
むしろその二つが並んだ瞬間、心の中の痛みはよりはっきりと浮かび上がってくる。
この作品を見てまず感じるのは、世界全体に漂う重たさだ。
色は沈み、空気は張りつめ、どこか時間が止まってしまったように見える。
それはきっと、「喪失」という感情が、世界の見え方そのものを変えてしまうからなのだと思う。
元気な主人公ではない、という選択
ゼロの岡部倫太郎は、前作とはまるで別人のようだ。
あの狂気的な言動も、大仰なセリフもない。
代わりにいるのは、感情をできるだけ表に出さず、
未来の話を避けながら、日常をやり過ごそうとする青年だ。
彼は壊れてしまったわけではない。
むしろ、壊れないように自分を守っているように見える。
何かを強く願えば、また失うかもしれない。
そう思ってしまった人間が、希望から距離を取るのは、とても自然なことだ。
ゼロの岡部は、その「自然な弱さ」を隠さずに描かれている。
喪失は、時間の感覚を狂わせる
『シュタインズ・ゲート ゼロ』を見ていると、物語がゆっくり進んでいるように感じる瞬間がある。
けれどそれは、展開が遅いからではない。
喪失を経験すると、心の中の時間は止まってしまう。
一方で、現実の時間は容赦なく流れていく。
そのズレこそが、人を苦しめる。
岡部にとって、紅莉栖を失った瞬間は、今もまだ終わっていない出来事なのだ。
だから「これから」の話は、どこか無神経で、暴力的にすら感じられる。
アマデウスという、優しくて残酷な存在
この作品で印象的なのが、AI〈アマデウス〉として再現された紅莉栖の存在だ。
声も、考え方も、反応も、驚くほど彼女に近い。
会話をしていると、確かに「そこにいる」ように感じてしまう。
けれど、決定的に違う点がある。
アマデウスの紅莉栖は、もう二度と失われない。
それは一見、とても優しい救いのように見える。
だが岡部にとっては、「本物の紅莉栖が戻らない」という現実を何度も突きつけられる存在でもある。
この関係性は、癒しと痛みが同時に存在していて、とても切ない。
未来は、必ずしも希望としてやって来ない
物語が進むにつれ、岡部は再び「未来」と向き合わされる。
第三次世界大戦の可能性。
未来からやって来る鈴羽の警告。
ここで描かれる未来は、明るい約束ではない。
むしろ、「動かなければ、もっと悪くなる」という形で迫ってくる。
岡部は、もう選択の重さを知っている。
だからこそ、再び立ち上がる彼の姿は、決して格好良くは描かれない。
そこにあるのは、覚悟というより、「それでもやるしかない」という静かな諦めに近い感情だ。
ゼロは、失敗の物語でもある
『シュタインズ・ゲート ゼロ』の終盤は、前作『シュタインズ・ゲート』へと繋がっていく。
未来の岡部から送られるメッセージは、まるで突然の希望のように見える。
けれど実際には、それは突然生まれたものではない。
ゼロの世界線で積み重ねられた、無数の失敗や後悔、選ばれなかった選択の延長線上にある。
もし岡部が、紅莉栖を救えなかった世界を生きていなければ。
もし彼が、立ち止まる時間を持たなければ。
あの奇跡には辿り着けなかったのかもしれない。
喪失を抱えたまま、生きていい
この作品が最終的に伝えてくるのは、「立ち直らなくてもいい」というメッセージだと思う。
人は、何かを失ったまま生きていい。
忘れなくていいし、完全に癒えなくてもいい。
それでも、選択することはできるし、
世界と関わり続けることもできる。
『シュタインズ・ゲート ゼロ』は、喪失を乗り越える物語ではない。
喪失を抱えたまま、それでも前へ進むことを許してくれる物語だ。
だからこの作品は、少し苦しい。
でも、その苦しさがあるからこそ、心に残り続けるのだと思う。
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