【ドラマ感想文】窪田正孝×山崎賢人の新しい月とLの関係性―2015年版『DEATH NOTE』の魅力
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見ました!見ました!
『DEATH NOTE 2015(デスノート)』窪田正孝氏編!
かなり面白かったです。
✄- – – – – – ネタバレあり – – – – – ✄
最初は、藤原竜也氏のイメージが強く、拭いきれなかったので、いまいち世界に入り込めない感がありました。
原作を読んでいないのですが、原作からはだいぶ改編されたものだったように感じました。
ですが、人間の苦悩の描き方がいい!
始めこそ月に同情し、こんな弱い人間がキラになるなんて無理があるなぁと思って見始めたのですが、逆にその設定が生きましたね。
Lはマツケン派だったのですが、この作品のLは天才肌というより、その自信の満ち溢れ方が確かにLであると感じさせました。
ストーリーの先が読めないまま、最後まで夢中になって観ました。
特に印象的だったのは、登場人物たちの人間関係の描き方です。
◆ 夜神月(窪田正孝)とL(山崎賢人)の関係
2015年版『DEATH NOTE』における夜神月とLの関係性は、従来のシリーズとは大きく異なるアプローチが取られていました。
1️⃣従来の『DEATH NOTE』と異なる関係性
原作や2006年の映画版では、月とLは「対等な知能を持つ者同士の頭脳戦」という構図でした。
お互いを認め合いながらも、欺き合い、最後にはどちらかが破滅するという、緊張感あふれるバランスが魅力でした。
しかし、2015年版の月は最初からLと対等ではありません。
むしろ、Lの方が圧倒的に優位な立場にあり、月は常に追い詰められる側にいます。
つまり、これは「知略の対決」ではなく、Lが月を「狩る」物語とも言えます。
この関係性の違いが、本作独自の面白さを生み出していました。
2️⃣月の「弱さ」とLの「異質さ」
窪田正孝氏演じる夜神月は、これまでの月とは違い「普通の青年」です。
優秀ではあるものの、非情なカリスマ性はなく、最初はデスノートの力に怯えるほどの「普通さ」を持っています。
この「弱い月」が、デスノートを通じてどのように「キラ」として変貌していくのかが、物語の大きな軸となっていました。
一方で、山崎賢人氏演じるLは、原作のような「人間離れした天才」ではなく、むしろ「圧倒的な自信を持つ天才」として描かれていました。
彼の言動は時に傲慢にすら見え、月に対しては徹底的に見下した態度を取ります。
このLの「異質さ」が、月の劣等感や焦りを加速させる要因になっていました。
3️⃣「対等ではない」からこそ生まれる苦悩
最初の段階では、月はLの圧倒的な推理力に振り回されるばかりで、完全に劣勢でした。
特に印象的なのは、月がLと直接対峙した際の心理的な圧迫感です。
– Lの挑発的な態度:「君がキラじゃないなら証明してみせてよ?」といういったような、月を試す発言が多い。
– 月の焦り:従来の月なら冷静に対応するはずが、2015年版の月は感情的に揺さぶられることが多い。
– 支配関係の逆転:本来、月は「新世界の神」としてLを支配しようとする側だが、2015年版ではLが月を弄ぶような構図になっている。
この「精神的主従関係」は、本作のLのキャラクター性を際立たせるとともに、月の追い詰められる様をよりリアルに描くポイントになっていました。
4️⃣追い詰められる月の変化
最初はただの大学生だった月が、Lの圧力によって少しずつ「キラ」としての覚悟を固めていく様子は、これまでのシリーズにはない魅力でした。
従来の月は、最初から「キラ」としての確固たる信念を持っていましたが、2015年版の月は、Lによって「追い詰められた結果、キラにならざるを得なかった」という印象が強いです。
つまり、2015年版の月は、Lがいなければ「キラ」にはなれなかったとも言えます。
これは、従来の「天才vs天才」ではなく、「弱者が強者によって変えられていく物語」という視点を生み出しました。
5️⃣最後に残るものは?
最終的に、月とLの関係性は「絶対的な支配と反抗」の構図に落ち着きます。
しかし、それは単なる善と悪の対決ではなく、
– 「追い詰められ、変わらざるを得なかった月」
– 「自らの正義を絶対と信じるL」
という、異なる信念のぶつかり合いでもありました。
本作では、Lの強烈な自信と異質な存在感によって、月は常に「試される側」にありました。
そして、その試練の中で彼がどう変化するのかが、本作の大きな見どころでした。
2015年版『DEATH NOTE』の月とLの関係は、従来の作品とは異なり、「知的な対等なライバル」ではなく、「強者と弱者の対立」という形で描かれていました。
このアプローチによって、月の苦悩や変化がより強調され、単なる頭脳戦ではなく、「精神的な追い詰め合い」としての面白さが生まれていました。
窪田正孝氏の繊細な演技、山崎賢人氏のLの圧倒的な存在感が、この関係性をより深く印象付けたと感じます。
従来の『DEATH NOTE』とは異なる形の月とLの戦い、それが2015年版の最大の魅力だったのではないでしょうか?
◆ 夜神月とニア(優希美青)
ニアの存在も、この作品の大きな特徴でした。
月がLではなくニアによって揺さぶられる展開も、これまでの『DEATH NOTE』とは異なる面白さがありました。
Lよりニアの方が策士なのかもしれない、とも感じました。
存在感も結構ありましたね。
最後まで謎めいていたのも良かったです。
◆ まとめ
2015年版『DEATH NOTE』は、従来の作品とは異なるアプローチで「人間の弱さと苦悩」に焦点を当てた作品だったと感じました。
最初こそ「こんな月で大丈夫か?」と思いましたが、その弱さこそが物語を面白くし、最後まで目が離せない展開になっていました。Lの描き方も独特で、過去作とは違った魅力がありました。
原作を読んでいなくても楽しめる、そんな『DEATH NOTE』でした!✨
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