【映画感想文】映画『爆弾』―静かな取調室で、心臓が爆ぜる音を聞いた
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「佐藤二朗氏がシリアスを演じる映画に、外れはない」
それはもはや、私の中ではひとつの“確信”になっている。
だからこの映画『爆弾』は、迷う余地などなく、公開前から「必ず映画館で観る作品」として予定表に刻み込まれていた。
結果から言えば――
やはり、観に行って正解だった。

✄- – – – – – ネタバレあり – – – – – ✄
この映画は、派手な爆発音で観客を驚かせるタイプの作品ではない。
むしろ、音のない緊張で、じわじわと心臓を締めつけてくる映画である。
物語は一見シンプルだ。
だが展開はまったく読めない。
次に何が起こるのか、誰が真実を握っているのか。
「分かった」と思った瞬間、その予想はあっさり裏切られる。
気がつけば、こちらの思考を試すように物語に翻弄されている。
そして、その中心にいるのが――
佐藤二朗氏演じる「スズキタゴサク」という人物である。
この男が、とにかく不気味で、魅力的で、得体が知れない。
笑っているのに、目が笑っていない。
静かに話しているのに、なぜか空気がひどく張りつめていく。
彼が何気なく言葉を発するたびに、画面の温度が一段下がるような感覚に陥る。
取調室という閉ざされた空間。
その中で、ほとんど“会話”だけで進んでいく物語。
にもかかわらず――
「長い」とは一瞬たりとも感じなかった。
むしろ、時間が奪われていく感覚に近い。
ぞっとするほど静かな会話の応酬の中で、いつのまにか自分が“観る側”であることを忘れ、そこに居合わせてしまったような錯覚を覚える。
テンポは早い。
だが雑ではない。
むしろ、ひとつひとつの展開が的確で、
観客の感情が追いつく暇を与えないまま、物語は次の局面へと引っ張っていく。
そしてもうひとり――
忘れてはならないのが、山田裕貴氏演じる「類家」だ。
天才的だが、どこか危うさを孕んだその存在感。
正しさと不安、冷静さと焦燥が同居する眼差し。
「確かに、手応えのある役だった」と、はっきり言える。
けれど私は、もうひとりの男に、強く心を揺さぶられた。
渡部篤郎氏。
彼の「抑える」演技が、あまりに良かったのだ。
怒鳴るわけでもない、感情を爆発させるわけでもない。
ただ、押し殺した声と、曇る目元の奥から、痛いほどに何かが伝わってくる。
人は叫ばなくても、十分に苦しいのだと。
必死に耐える姿ほど、胸を打つものはないのだと気づかされる。
彼の取り調べ後半でタゴサクの指を折るシーン、あのシーンに彼の感情は全て凝縮されていた。
その静かに湧いてくる怒りを演じるのは圧巻であった。
この映画は、
誰かが「悪」で、誰かが「正義」で、という単純な構造ではない。
人の弱さ、狡さ、脆さ、そして、どうしようもなさ――
そういったものが、静かに、執拗に、描かれている。
だからこそ、観ているこちらの心まで、ざわつくのだ。
「娯楽映画」として観に行ったはずなのに、
気がつけば、心の奥を覗き込まれているような気持ちになる。
決して、軽い映画ではない。
けれど、観終わったあとに残るのは、嫌な不快感ではなく、不思議な“余韻”だった。
言葉にするのが難しい、重たい何か。
だけど、確かに胸のどこかに残る熱。
『爆弾』は、
派手なアクションで観客を満足させる映画ではない。
だが、「静かな狂気」と「人間の深さ」で、確実に心を撃ち抜く一本である。
佐藤二朗のシリアス演技を信じている人間なら、
この映画を観ない理由はない。
そして、できるなら――
ぜひ、映画館で観てほしい。
あの空気、
あの沈黙、
あの異様な緊張感は、
スクリーン越しでなければ、きっと本当の意味では伝わらない。
静かな取調室で、
確かに――
私は、心臓が“爆ぜる音”を、聞いた。
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