【映画感想文】映画『湯道』が描く、湯をともにする心の交流【ネタばれあり】
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窪田正孝氏の出演している映画を探していて出会ったのがこちら。
⏩️湯道
生田斗真氏、濱田岳氏主演の映画だった。
生田斗真氏は演技の幅が広いなと以前から思っており、気になる俳優の一人だ。
今回はコミカルな映画とのことで期待も高まった。
風呂とは。
私は幼少期、祖母の家には風呂がなく、銭湯に通うという体験をしたことがある。
正月と盆、帰省した際はかならず銭湯だ。
銭湯というのは実にいいもので、とても広い風呂にのんびりと身を浸す行為は自身の開放感に繋がる。
湯の香り、扇風機の音、衣擦れの音。
カコーンカコーンと響く桶の音は今でもその湯の温度を思い返すことができる大切な記憶だ。
本作もそのような銭湯を舞台とした作品で、見ているうちに思わず自分の銭湯の体験と重ね合わせている部分もあった。
昔は一軒一軒に風呂がなくとも不思議はなく、銭湯に来る人は顔なじみであった。
私も幼い頃に近所のお年寄りに風呂上がりのドリンクをごちそうになったりした記憶がある。
そんな銭湯の存亡を、兄弟二人が見つめ直すというストーリーだ。
確かに。
今はどこの家にも風呂がついていることが多いだろう。
銭湯というのは、少しその役目を終えつつあるのかもしれない。
だが、私達の心の奥に、『湯をともにする』という考え方はまだ消え去っていないと思う。
心を通わす、その『湯をともにする』という行為。
ただ気持ちいいだけではない何かがそこにはあるのだと思う。