【映画】観了。映画「ある閉ざされた雪の山荘で」(ネタバレあり)
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原作未履修。
原作未履修だったためか、結構楽しめた。
観終わった後に他の人のレビューを見たが、酷評も多かった。
だが、私は結構楽しめたと思う。
東野圭吾氏の1992年の作品が原作である。
✄- – – – – – ネタバレあり – – – – – ✄
まず、ちょっと慣れない演出に最初戸惑った。
家の中の間取りの上で演技するということに、違和感を感じてしまい、最初のうちは演技が心に入ってこなかった。
オーディションという設定上、みんな演技臭い、芝居がかった日常を過ごしていたせいもあったかもしれない。
どこか心此処にあらずで、それが意図して演技されたものだと納得するまでに時間を要した。
だが、それは最初の事件で一変する。
『本当に殺されたのか?これは演技の続きなのか?』
この疑問を、非常にスムーズに表現できていたと思う。
しかし、一貫して演技がかっている重岡大毅氏の演技。
わざとらしさが際立ちすぎて、それは『犯人なのでは?』と思わせるには十分すぎた。
しかし、この最初の事件ではまだキャストの演技に演技臭さが残っていて、これを演出だと見抜くまで、更に時間を要した。
間取りの上での演技にも慣れてきた頃、キャストの演技に自然さが出てくる。
そう、それはお互いを警戒し、疑惑を持つという自然な心の動きだ。
人が人を疑うとき、感情を押し殺していてもにじみ出る不自然さがある。
それをキャストはうまく演じてみせた。
ここから私の心の中にこの映画が響き始めたのだ。
『今までの演技は計算された演技だったのかもしれない』
2度目の事件が起きたとき、私はこれは本当にサスペンスで、殺人事件が起きたのだと理解した。
最初の事件には疑問点が多すぎて、『オーディションの一貫である』と騙されていたのだ。
そう、『これはオーディションなのか、ホンモノの事件か』
このあたりから混乱し始め、そして初めて原作者を見た。
そう、大好きな東野圭吾氏ではないか。
最初から原作者を見ていたら、もしかしたら素直な気持ちでは引き込まれていなかったかもしれない。
重岡大毅氏の演技は、演技なのか?それとも、ただ冷静知的な人物なのか?
最後の最後になるまで、3重のトリックは見抜けなかった。
トリックが3重だとも思わなかった。
そして、一番最後の場面になったとき
『これは本当に起きた事件だったのか?』
という疑問が残った。
ここまで計算されていたとしたら恐ろしいのである。
私は割と感性が素直にできていて、あまり『疑う』ということができない。
推理・サスペンスを楽しむのにとても得な感覚をしている。
そのため、今回の作品も十分にゾクゾクしたし楽しむことができた。
事件の先を読むことができないからだ。
そんな心理をうまく突かれた作品だったと思う。
次は原作を読んでみたい。
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